長くて短い人生「JINNSEIーOKINA」があっちこっちへぶっ飛ぶよもやま話、
シイタケ栽培、何度目か失敗。あきらめて冬支度。シイタケ発見。
キノコ栽培って、すぐ成果出ず難しいですね。特に僕はいい加減な栽培が得意。当然何度も失敗し20年くらい手掛けていませんでした。
2年前、兄貴が庭に生えているナラの木を切ったので、原木沢山出た。もったいなくて、シイタケとナメコの栽培思い立った。
昨年菌を植え付けた原木、少しシイタケが採れたがその後全く出て来ない。雑菌が入ったらしく怪しげなキノコが発生。全く諦めていた。
2020年11月24日。冬が来たので、大急ぎで原木覆っていた遮光ネットも片づけに入った。(明日25日から長崎の出島へイルミネーションつけるため)
全くマツタケの陰形もない。
所が遮光ネット片づけ始めるとビックリした。
何と裏側にシイタケが沢山なっているではないか。・・・・こんな立派なシイタケが。感動した。(根元には今朝降った雪の塊が)ネットを掛けた側に出来た。来年はスポット覆ってみようかな。
ビックリして嬉しくなった。「なんて日だ」。
これって来年が楽しみ。取って見ると結構あった。
明日から長崎に出かけるので、さっそくバター焼きにして食べた。美味しくて写真撮る暇なかった。・・・・・いつもは1缶のビール、二缶飲んでしまった。
素人には難しいキノコ栽培。採れた時の感激が違います。2年越しですからね。
ナメコは2年かかるらしいので、もしかして来年芽が出るのかな。楽しみ。
2020年11月25日 シイタケの刺身
昨夜は、シイタケのバター焼き食したので、今日は刺身にしました。火にあぶってから薄切りに、少し食べてから又写真撮影していない事に気付き慌てて撮影。
どうですかこの身の厚さ。美味しかった。
私がシイタケを栽培したいと思っていたのは、まだ会社に入りし若かりし頃。高校卒業して翌年の春だからまだ19歳(当時はドライヤー使ってオールバックにしていました)長野の山に別荘地作りの測量に入り、姨捨駅前の旅籠に泊まっていました。
その時出されたのが、シイタケの刺身。美味しくてその後も食べたいと思い食しましたが鮮度がいまいちの為味も今一。これは自分で作らねばと思い挑戦しましたが、会社勤めの身としては手入れが出来ず全くダメ。
久しぶりのシイタケ栽培、昨年ホダ木作って、この度初めて成功し感激もひとしお、味も最高でした。
(おまけ)
当時の姨捨駅、スイッチバックという珍しい線路でした。(今はどうなっているかな)列車が前後して少しづつ山を登るんです。従って汽車が来ると、行ったり来たり、3度も旅籠の前を通過。どういう分けかこの旅籠の揺れる事。おまけに当時は松代地震の真っ最中、毎日100回以上揺さぶられるんです。(昭和40年頃、若い人は知らんだろうな)一日中、汽車と地震で揺さぶられていました。地元の乗客は馴れているので、汽車が止まるとバラバラと飛び降り、勝手に帰ってしまいます。多分家に近い方で止まったら飛び降りるんでしょうね。
私達は測量で遠くを眺めているので、松代方向を眺めていると遠くの木が揺れ出し「おい、地震がくるぞ」すぐに地面が揺れだしていました。
その為上山田戸倉温泉も人が閑散としていました。金が無かったので先輩がバーと交渉。「旦那に聞いてくれ」って先輩が座敷に上がる。離れて見ていたら一見ヤクザ風の旦那。交渉して付けで飲めるようになりました。初めてオカマなる者に会ったのもこのお店。着物を着ているだけで、あまりにも男らしい姿にビックリした事を良く覚えています。
そんな時代でした。
シイタケ栽培、何度目か失敗。あきらめて冬支度。シイタケ発見。
キノコ栽培って、すぐ成果出ず難しいですね。特に僕はいい加減な栽培が得意。当然何度も失敗し20年くらい手掛けていませんでした。
2年前、兄貴が庭に生えているナラの木を切ったので、原木沢山出た。もったいなくて、シイタケとナメコの栽培思い立った。
昨年菌を植え付けた原木、少しシイタケが採れたがその後全く出て来ない。雑菌が入ったらしく怪しげなキノコが発生。全く諦めていた。
2020年11月24日。冬が来たので、大急ぎで原木覆っていた遮光ネットも片づけに入った。(明日25日から長崎の出島へイルミネーションつけるため)
全くマツタケの陰形もない。
所が遮光ネット片づけ始めるとビックリした。
何と裏側にシイタケが沢山なっているではないか。・・・・こんな立派なシイタケが。感動した。(根元には今朝降った雪の塊が)ネットを掛けた側に出来た。来年はスポット覆ってみようかな。
ビックリして嬉しくなった。「なんて日だ」。
これって来年が楽しみ。取って見ると結構あった。
明日から長崎に出かけるので、さっそくバター焼きにして食べた。美味しくて写真撮る暇なかった。・・・・・いつもは1缶のビール、二缶飲んでしまった。
素人には難しいキノコ栽培。採れた時の感激が違います。2年越しですからね。
ナメコは2年かかるらしいので、もしかして来年芽が出るのかな。楽しみ。
2020年11月25日 シイタケの刺身
昨夜は、シイタケのバター焼き食したので、今日は刺身にしました。火にあぶってから薄切りに、少し食べてから又写真撮影していない事に気付き慌てて撮影。
どうですかこの身の厚さ。美味しかった。
私がシイタケを栽培したいと思っていたのは、まだ会社に入りし若かりし頃。高校卒業して翌年の春だからまだ19歳(当時はドライヤー使ってオールバックにしていました)長野の山に別荘地作りの測量に入り、姨捨駅前の旅籠に泊まっていました。
その時出されたのが、シイタケの刺身。美味しくてその後も食べたいと思い食しましたが鮮度がいまいちの為味も今一。これは自分で作らねばと思い挑戦しましたが、会社勤めの身としては手入れが出来ず全くダメ。
久しぶりのシイタケ栽培、昨年ホダ木作って、この度初めて成功し感激もひとしお、味も最高でした。
(おまけ)
当時の姨捨駅、スイッチバックという珍しい線路でした。(今はどうなっているかな)列車が前後して少しづつ山を登るんです。従って汽車が来ると、行ったり来たり、3度も旅籠の前を通過。どういう分けかこの旅籠の揺れる事。おまけに当時は松代地震の真っ最中、毎日100回以上揺さぶられるんです。(昭和40年頃、若い人は知らんだろうな)一日中、汽車と地震で揺さぶられていました。地元の乗客は馴れているので、汽車が止まるとバラバラと飛び降り、勝手に帰ってしまいます。多分家に近い方で止まったら飛び降りるんでしょうね。
私達は測量で遠くを眺めているので、松代方向を眺めていると遠くの木が揺れ出し「おい、地震がくるぞ」すぐに地面が揺れだしていました。
その為上山田戸倉温泉も人が閑散としていました。金が無かったので先輩がバーと交渉。「旦那に聞いてくれ」って先輩が座敷に上がる。離れて見ていたら一見ヤクザ風の旦那。交渉して付けで飲めるようになりました。初めてオカマなる者に会ったのもこのお店。着物を着ているだけで、あまりにも男らしい姿にビックリした事を良く覚えています。
そんな時代でした。
ザキヨット裁判」も読んで下さい。 俺は5年間頑張りました。
裁判所の判決がいかにひどいものか皆様に考えて欲しいと思います。手抜きに関し「未工事で有るとすれば、これは瑕疵ではない」との理由で却下された。工事代金は返してもらえなかった。このとんでも判決。偽証だと明らかなのに、それを注意しない裁判官。民事では偽証罪が成立したことがないでたらめさ。オカザキヨットは分っているから、偽証を繰り返し尋問時間を浪費させる作戦。・・・・・・だから悪徳業者は減らないんだ。
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