jinnsei-okinaのblog

多趣味な男です。人のやっていることを見ると、なんでもやりたくなる。最後の趣味がヨット。趣味で忙しすぎて、これ以上増やせば仕事をしている時間がなくなると思い、避けていましたが、50代の時、会社で干されたのをチャンスに一級船舶免許を習得。免許習得とともに、カタリナ320を購入、翌年着岸も満足にできないのに日本一周などしてしまいました。2度のリストラをかいくぐり(石油ショック・バブル)ついでに自分で会社まで作ってしまいました。この間二つの会社から給与をいただき、無事定年退職。現在カタリナ350で自由気ままな人生を送っています。

タグ:ヨット小笠原航海

 株式会社オカザキヨット裁判(以下オカザキヨット、又はオカザキと称す)

 
(本件は、小豆島の岡崎造船とは一切関係ありません。)

新西宮のオカザキヨットは、主張をころころ変え、でたらめな主張を「金地寛幸」は偽証を繰り返した。

修理を全てやり直したのにも関わらず、大阪高裁はオカザキヨットに支払った工事代金の内、ほんの一部の返還を命じただけであり、驚くべき事に、もし未工事であるならばこれは瑕疵ではないとしてその部分は却下された。全て判例違反であると、最高裁に全額返還を訴えたが却下され、私は訴える手段がなくなった。これは誤審である。大阪高裁の判決が正しいか、いつ同様の(ヨット以外でも)被害にあうかも知れない国民に、問うものである。

 
私はこのブログの準備中に、オカザキヨットの社長が息子に変わった事を知った。新社長になっていきなりこのブログでは気の毒だと思い、会社の対応が変わったか新西宮ヨットハーバーの事務所に新社長を訪ねた。しかし従業員だけしかおらず、新社長は横浜であると言う。
ネットで対応ができると言うので、TV電話で対談した。だが「この件はおやじに任せてある」と主張し話し合いにならない。「なんならおやじを呼びますから、そちらと話しますか」と言われた。私は、前社長に恫喝されていたので、会えば喧嘩になると困るので仕方なく引き上げた。・・・・要するに会社の対応は変わらないと判断し、ブログを立ち上げたのである。
 

オカザキヨット不良修理:船台上架編

1.初めに。

オカザキヨットは上架を10日間見積もりながら、上架せずヨットを修理し、費用80万円をだましとろうとした。それにもかかわらず上架する事になったのは、この長い上架期間を利用して、私が前年からオカザキヨットの「金地寛幸」と検討していた「スクリューの改造」を安く上げようと決心し連絡したからである。私が6月11日、上架中にスクリューの改造をする事にしたと連絡すると、オカザキはあわててヨットを上架した。それまでは上架せず作業をしていた事は「金地寛幸」も裁判で証言している。
そのためいつも撮影している、修理の状況写真を裁判所に提出できなかったのである。

2.船 台

オカザキヨットは、私に内容を確認させず、こっそりと水増しした高額な保険金を請求をした。5月26日、それを査定会社から知らされた私は、27日見積書を手に入れ、直ちに担当の「金地寛幸」に電話を入れた。「金地寛幸」にあまりにも高額な見積書の内容を追及すると返答に困り黙り込んで説明しないのである。「金地寛幸」はこのピンチをかわす為、修理を完成させる話に私を誘導した。
部品が日本に到着したから、6月3日に着く。間違なく6月16日には、修理を完成させると約束した。私はその中に「見積内容をあまり追求すれば、修理に問題がおきますよ」との脅しを感じた。「金地寛幸」がその気なら私はその日に、その高額な保険金に相応しい修理が完成するか、当日検査をして確認しようと、翌28日神戸へ行く航空券を妻に手配させた。
だが裁判になると、「金地寛幸」は私にちゃんと説明したと証言した。通話時間2分32秒・・・・・・この短い通話時間で説明できると思いますか、偽証である。

その後も何度か完成すると言っていたが、実際は上架せず作業を進めたため、仕事は進まなかった。私が検査に行くことを伝え忘れていた事に気づき、6月11日に神戸へ行くことを伝えると、今まで「完成します」と言っていたのが、突然「出来ます」と言い方が変わり、その後「完成します」とは言わなくなった。後に分かった事だが、11日当日私がかねてから打合せしていた「スクリューの改造をするから」と伝えると(私が上架代を浮かせるため)、オカザキは翌日12日にあわてて上架したのである。それまでは、上架の保険金を受け取りながら、上架せず作業をしていたのである。海上にに降ろしたのは、完成を約束した翌日、17日であった。従って10日間見積の上架日数は6日間と短くなったが、オカザキは見積通りの日数上架したと言い張った。
この様な状況でまともな修理が出来る分けがない。

写真:「金地寛幸」に電話した翌日の6月28日に、旅行の手配をした証拠。完成した船に泊まって検査しようと思ったので、ホテルは札幌に帰る前日だけの手配である。
旅行手配 001

1)   上架していない証拠

平成23年6月頃、全ての修理が未完成である事に疑問を感じた私は、上架にも問題があったのではないかと思い当たり、ハーバーに電話し、上架期間を確認した。6月12日~17日との回答をえ、翌24年には、請求書の写しも手に入れた。(入手する方法を知らず、オカザキの弁護士が使った手法を真似た。・・・まね碁?)

写真:新西宮ヨットハーバーからの請求書。上架6/12~17
上架請求書 001

上架日数が短かった事実を知ったが、オカザキ自ら認めさせようと、私はオカザキに証拠となる請求書の提出を何度も求めた。しかしオカザキは、新西宮ヨットハーバーに引っ越した時紛失したとして提出を拒んだ。他の納品書では、再発行した物が多々あるのであるから、同じ建物にある1階の事務所に出向き、再発行してもらえば済むことである。何度も故意に提出を求めた。しかし真実を知られたくないオカザキは頑なに拒み続けた。・・・・・ハーバーに問い合わせて、請求書を手に入れ既に真実を知っている私・・・・これは笑えた。

2)    後出しじゃんけんではない。

私はしばらく、上架が6月12日だった事実を知らなかった。知るきっかけになったのは、修理全てが未完成である事実が判明し、船台についても、だまされているのではないかと思ったからである。平成23年6月頃ハーバーへ電話して、上架は平成22年6月12~17日の6日間だけであったと知ったのである。

証拠が必要だと考え、上架の請求書は、平成24年8月18日、裁判所に申請し手にいれた。なぜならば、ハーバーの人間に直接依頼すると、職員がオカザキからどのようないやがらせを受けるかも知れないからである。

平成23年1月20日事故による怪我の再手術をした手で、(修理だけでなく、怪我も再手術)ようやく訴状に対する答弁書を書き上げた。それには私の主張がこう記述されている。「6月16日の数日前被告から電話があったと言うのは、多分6月11日、船の修理状況を確認する電話であろう。被告(私)が神戸行を決めたのは、平成22年5月27日に、金地氏から平成22年6月16日に修理が完成すると言われたからであり、翌28日に妻が旅行会社へ手配したからである。」オカザキが、「16日の数日前に初めて神戸へ来ることを知った。16日に工事の完成を約束した覚えはない。」との主張に対する反論である。船台に上架しなかった事については何も触れてはいない。従って船台のために、電話した日にちごまかす必要はなにもない。(DOCOMOの請求明細あり)

私はこの日、4回も電話している。「金地寛幸」が神戸へ行くと伝えると、今まで「完成します」と言っていたのが、急に「出来ます」と言い方が変わり、作業が進んでいないと感じ、心配になったからである。作業方法を確認していると「金地寛幸」は「海上でマストを立てる」と言い出した、上架するのに何で海上で立てるのか、丘で作業すべきだと言い争い、心配しているのに何を言っているのかと腹が立って、電話を切ったのではっきりと覚えている。答弁書にはケガをしたその手で、はっきりとこの日を「6月11日」と書いた。

この時点では、上架されていない事実を知らず「6月11日電話をした」とのみ記載している、上架していない事実を知ったのは、それから半年後である。従って初めから6月11日電話したと主張していた。従って「6月11日伝えた」と答弁したのは、「後だしじゃんけんではない」

写真:「文書送付委託の申し立て書」自分で裁判をするとき、利用して下さい。
文書送付委託 001

 裁判が始まっても上架していなかった事実を知らなかった。

平成23年1月20日、答弁書を書いた時点で6月11日上架されていない事実を全く知らない。神戸へ行く事を伝えた日を誤魔化すなら、それ以前に「金地寛幸」に電話した、6月3日としても良かった。なぜなら11日では伝える日が遅すぎるからである。

②6月11日「金地寛幸」に電話をしたきっかけ。

6月10日の夕方、「広島地方海難審判所」から電話があり、呼び出しの通知書を送るが、来る事が出来るのかと電話があったので、神戸へ検査に行く用事があるので6月21日(月)にして欲しいと伝えた。
文書は後日6月11日付で送付された。着いたのは13日だと思う)
私はこの時「金地寛幸」に、検査に行くことを伝え忘れたと気づき、これはまずいと慌てて翌11日電話したのである。しかしこの時、完成するか聞いただけで、再び伝え忘れてしまった。あわてて4分後電話をし、今度は間違えなく伝えた。この時「金地寛幸」に完成するか念押しすると、1回目の電話で言っていた「完成します」から「できます」に変わり、困惑した感じが気になった。
作業に問題があると感じた私は、作業のやり方についてしっかり確認しようと、今度は落ち着いて話せる事務所へ電話をした。11分半作業手順について話し合った。上架しているはずなのに、「金地寛幸」は「海上でマストを立てる」と言い出し譲らない。「心配しているのに、それならば勝手にすればよい」と思い、腹が立ったので電話を切ったのである。

書:海難審判の呼び出し、発行日は6月11日となっている。
海難審判 001

③ 上架した理由

私が、昨年から「金地寛幸」と相談していたスクリューの改造をすると決めたからである。
11日は、今回の上架を利用して「スクリューの交換を決めるタイムリミット」と考えていたので、しばらく検討し、1時間40分後ふたたび携帯へ電話したのでよく覚えている。4回も電話する忙しい1日だった。



 ➃ 上架日数

上架日数は、10日間見積もっている。全ての修理をやり直したM社も同様であったから、妥当な日数であろう。6月16日完成約束をしたのならば、遅くとも7日には上架せねばならない。しかし上架したのは12日である。おかしいではないか。
M社の見積にはマスト倒立の項目が無かった。問い合わせると「ジブファーラー交換のため上架してマストを倒す必要はない」と答えた。事実M社はマストを倒さずに、いとも簡単にフォアステーとジブファーラーを交換した。当然オカザキも上架せず修理を完成させる事ができた。オカザキは上架する気が無かったと指摘したい。

⑤ まとめ:オカザキヨットは上架して修理する気はなかった。

おかしいではないか、訴状でオカザキヨットは、6月16日の数日前、私から電話があった、その時船に泊まると言われたが、『金地は、「今、上架中なので無理です。」と答えた』となっている。嘘である。電話したのは11日、上架したのは12日ではないか。私が「スクリューの改造をする」と決心して連絡したので、慌てて上架したのである。

上架しているはずなのに「海上でマストを立てる」明らかに、上架するつもりはない。マストも倒す意思がなかった。マストを倒す必要がないからである。だから修理中の写真を撮影しても、裁判所には提出できなかった。
にも拘わらず「マストに登る事は危険なのでそのような作業はしない」と主張した。おかしいではないか。今まで私に頼まれて何度もマストに登っているではないか。請求書もある。

上架したのは、私が「スクリュー改造」を決めたからである。又、6月16日当日マストを倒したまま立てようとせず、私達が完成を待っているのに、事情も説明せず、午後から作業員を引き上げたのは、私が船に泊まるのを防ぐ事情があったからである。何か事情があると気付いた私達は、猛暑の中あきらめずしつこく待ち続けた。(雨漏れでベッドが濡れていることを知られたくないため?)

写真:私の妻と、送ってくれた義兄は絶対完成しないと考え心配して待っている。「どうなるんだろう」との表現が溢れる、ベストショットである。
ピカピカのスクリューと、入れてきた箱が見える。

 スクリュー改造 001

「金地寛幸」は、部品が揃わないのに修理する分けがないと主張しながら、公判で、5月20日の納品書を追求すると、5月から修理していた事を認めている。

上架せず、修理を行えばオカザキヨットは80万円もの修理費が浮くのである。こんなおいしい話を見逃す分けがない。上架したチャンスを利用して、今回スクリューを改造すると言われた時は「何を余計な事をするのか」と腹が立った事だろう。

 

3.裁判での主張

H22.12.10 訴状

6月16日の数日前、被告より、原告の従業員金地に対して電話があり、一方的に「6月16日飛行機をおさえた。海難審判の関係で広島へ行く予定があるので、その前に西宮へ寄る。ヨットに泊まる予定にしている」と言った。これに対して金地は、「今、上架中なので無理です。」と答えたものの、被告は意に介していないようであった。

(コメント)

「金地寛幸」は上架もしていないのに嘘をついている。神戸へ行くことは、5月27日に決め、翌28日旅行の手配をした。海難審判の話を持ち出したのは、連絡が遅れた事への気まずさからそう話しただけである。逆に検査のため行くことを利用して、海難審判所への出頭日を6月21日にしてもらったのである。20日が日曜日で、大阪へファイターズの応援に行ったのは運が良かった。なぜならば、20日に雨が降りバウハッチの雨漏れが判明したからである。
その後一度も雨に遭遇しなかったので。もし20日広島へ行っていたら、いつ雨漏れに気付いたか。・・・・・オカザキは「雨漏れするような修理はしていない」と主張し、更に「もし雨漏れがあるならば1か月あれば雨も降るはずで、その時で気づくはずだ」と主張した。・・・・ようするに雨漏れさせたとの主張は嘘だと主張したのである。・・・馬鹿にするな、札幌に住む私が、20日に気付かなければ、その後雨が降った時ヨットにいたのは、3年後である。

(続いて)

本件ヨットの修理はまだ完成していなかったが、被告がわざわざ札幌からくるというのであるから、それまでに工事を終わらせようと考え、原告は、6月16日の完成を目指して工事を進めた。6月16日お昼頃被告は、西宮へやってきた。この時点ではまだ工事が完了していなかったため、被告に対して「今日中に工事は完了する予定ですが、遅くなると思います。」と伝えたところ、被告は、「それならばホテルへ泊まる」と述べた。

(コメント)

いかにも一生懸命工事を進めているイメージを与える。しかし何度も述べたように、午後から作業を中止した。私があっさりと了解しホテルへ行ったように記載している。
事実は、遅くなるとは言わず「できます」と主張し続けたため、猛暑の中待ち続けた事が抜けている。結局「出来ない」と認めたため16時頃ホテルへ行ったのである。
「この時はそれほどの問題はなかったのに」とのイメージ操作である。

工事は、私たちが帰った後大慌てでマストを立てた。裁判では船を6月16日完成させたと主張したが、通常の作業時間以降の完成は、公的には6月16日完成とは言えない。しかも何故私達が帰ると作業を再開し夜間工事をしたのか。

さらに、翌朝現場に行くと、マストは立っていたが、午前中は全く作業せず、船は上架したままであった。私たちは再び熱い車内で完成を待ち続けた。(神戸に車を置いてあった)気が付けば午後3時頃に船は海に降りていた。しかし作業しやすい近くではなく、わざわざ長い桟橋の遠くで作業をしていた。「わけありだろう」と考え、とりあえず今夜泊まるところを確保しようと見に行かなかった。「金地寛幸」が「泊まれるようにしました」と言ってきたのは、18時頃になっていた。

こんな状況でも、裁判になると「6月16日完成させた」と主張した。全くでたらめな会社である。

写真:6月17日18時頃の船首寝室状況。こんな状況なのに裁判では、6月16日完成したと主張した。
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H24.4.27 オカザキヨット準備書面

船台使用料・新西宮YH

被告は7日分として認めているが、10日間使用したものであり、何故7日分として認めているか不明である。・・・・・・実際は6日間とも主張しているところであり、被告の主張が食い違っている。

(コメント)

「10日間使用したものであり」・・・ふざけるな、6日間しか上架しなかった事はすでにバレている。オカザキヨット嘘をつくな。予備日を1日見て、7日としたのである。もともと修理が完成していないのであるから全額認める必要はない。私の恩情に対して、なにを文句いっているのか。

 

H24.8.31 尼崎地裁「金地寛幸」陳述書

被告は、船台使用料が7日ぶんであるという主張をしておりますが、2年も前の話ですから、正確には10日分だったかの記憶期ははっきりしませんが、10日分くらいは使用していたはずです。

(コメント)

「10日間使用した」と主張して私に鋭く反論・避難していたのに、その根拠が崩れると言い訳しだした。ようするに「オカザキの反論は、証拠がない」それにも関わらず認めない。

続いて

仮に多少日数が少なかったとしても、実費額の支払いで後に清算するという約定の修理ではありませんから、減額しなければならない話にはならないと思います。

(コメント)

そのとおりである。但し修理が完成して下架した場合だけである。逆に実費精算ではないから、修理が完成せず完全にやり直しになった以上、「私にとって何の利益も得ていない」すなわち、上架費用は全く支払う義務はない。

続いて

逆に日数が増えたとしても、こちらからは請求できないはずですから。実際、上下架については当初見込みより回数がオーバーしていたはずですが、オーバー分の請求はしていません。

(コメント)

「2年も前の話ですから、・・・・記憶期ははっきりしませんが」・・・・回数は多かった。・・・・記憶ははっきりしているではないか。ただし偽証であるが。

嘘だと分かっているが、ハーバーに電話して再確認した。3月に整備のため上架して以降、9月までの間に1回しか上架していないと確認したぞ。上架したなら、請求書を出して反論しろ。(確か確認した時の録音があるはずだ・・・録音失敗したかな?)

オカザキヨット、つぎつぎと嘘をつく体質はどこからくるのか。

 

4.まとめ

オカザキヨット、この嘘で塗り固める体質はどこからくるのか。修理を完成させず下架。全ての修理がやり直した場合、私には上架した事による利益はない。従って上架費用は全て返金すべきである。

 

5.判決

1)平成25年9月17日、尼崎地裁判決

  何の説明もなく却下された。不当であり、上告した。

  (コメント)
修理に多くの問題が発生した。その原因の一部は、上架せず修理を完成させようとしたことにある。上架日数は10日と見積りながら6日しか上架しなかった。完成すれば構わないが、全く修理が完成しないのに、上架費用を全額受け取るのは不法行為である。
  当然大阪高裁へ上告した。


2)平成27年12月18日 大阪高裁判決

控訴人は自ら本件ヨットを福岡まで回航していて、回航費用を現実に負担したわけではない(弁論の全趣旨)。よって、控訴人の回航費用相当額に関する損害の主張は認められない。

(コメント)
裁判で負けるかも知れない。かかった費用全額が認められないかも知れない。だから自分で回航したのである。誰が回航しようと費用はかかる。自分がすべき仕事をなげうって回航したのであるから。しっかり検討した航海計画の作成・札幌~神戸、福岡~札幌間の航空運賃・宿泊費・オイル交換・軽油・食料の積み込み・下関~福岡までの回航費5万円(故障が多いので、玄界灘は専門家に頼んだ)ものお金はかかっているのである。これでも「回航費用を現実に負担したわけではない」と言えるのか。修理のため近所の車屋へ車を転がすのとはわけが違う。どうしてそれを補償してくれないのか。裁判所は被害者を苦しめるためにあるのか。数ある出張の内わずか10万円を認めてくれただけである。オカザキヨットは神戸へ回航したが、修理が全ての完成しなかったため、全くの無駄な回航であった。そのため、オカザキが行った松山~神戸までの回航に対して。私は神戸~松山まで、更に松山~福岡まで回航することになったのである。更に福岡~神戸まで。実にオカザキの4倍の行程を回航したのである。・・・・それでもオカザキに回航費用を返還させない。負担させない。裁判はどうなっているのか。裁判に常識は通用しないのか。

続いて)
証拠(乙49)によれば、控訴人は、本件修理後の補修工事をM社に依頼した際、上下架費用として合計2万9640円を負担したことが認められ、これは、控訴人に生じた本件修理の瑕疵と相当因果関係のある損害に当たると認められる。


(コメント)
判決文にある「補修工事を」の表現。ここに誤審の全てがある。これは「補修工事」をしたのではない。やり直し工事である。「補修工事」ならば、オカザキがやった仕事を利用して直した事になる。それならば追加費用を請求できるだけである。これが従来の趣旨である。しかし完全に上架し直して、全ての工事をやり直したのである。これは解約工事である。オカザキの上架に何の意味もないのである。なぜなら、全ての工事をやり直すはめになったのだから。しかも全く修理していない物も含まれているのである。・・・・しかも見積書にある日数上架せず。そのため高額な修理代を受け取りながら、お粗末な仕事になってしまった責任を裁判所はどう判断しているのか。

ここで計上されている、上下架費用は機械使用料とその人件費の合計である。その他にM社に支払ったヤード使用料1万1850円、ビジター使用料15日分、5万2500円が認められていない。実際は10月に持ち込んで、調査し、修理方法を検討し、翌年の4月末までかかったのである。それにも関わらずそれらの費用は一銭も認められなかった。裁判所は被害者をどこまでも苦しめるのか。
裁判所に言っておく、これは誤審である。

ここで請求しておく。おい「株式会社オカザキヨット」お前に支払ったが、全く無駄になった回航費と上下費用を全て返せ。

 株式会社オカザキヨット裁判(以下オカザキヨット、又はオカザキと称す)

 
(本件は、小豆島の岡崎造船とは一切関係ありません。)

新西宮のオカザキヨットは、主張をころころ変え、でたらめな主張を「金地寛幸」は偽証を繰り返した。

修理を全てやり直したのにも関わらず、大阪高裁はオカザキヨットに支払った工事代金の内、ほんの一部の返還を命じただけであり、驚くべき事に、もし未工事であるならばこれは瑕疵ではないとしてその部分は却下された。全て判例違反であると、最高裁に全額返還を訴えたが却下され、私は訴える手段がなくなった。これは誤審である。大阪高裁の判決が正しいか、いつ同様の(ヨット以外でも)被害にあうかも知れない国民に、問うものである。

 
私はこのブログの準備中に、オカザキヨットの社長が息子に変わった事を知った。新社長になっていきなりこのブログでは気の毒だと思い、会社の対応が変わったか新西宮ヨットハーバーの事務所に新社長を訪ねた。しかし従業員だけしかおらず、新社長は横浜であると言う。
ネットで対応ができると言うので、TV電話で対談した。だが「この件はおやじに任せてある」と主張し話し合いにならない。「なんならおやじを呼びますから、そちらと話しますか」と言われた。私は、前社長に恫喝されていたので、会えば喧嘩になると困るので仕方なく引き上げた。・・・・要するに会社の対応は変わらないと判断し、ブログを立ち上げたのである。
 
 

オカザキヨット不良修理:隔壁歪み編

1.初めに。

「ジブファーラー・フォアステー編」で、ステーの締付調整不良のため隔壁を歪めてしまった事は既に説明しました。このため隔壁補強工事が必要になりました。しかしオカザキヨットはこれを認めず、逆に私のヨットは湿気が多い、結露も見られたこれが原因だと難癖をつけた。これは「雨漏れまとめ編」でオカザキに原因がある事を証明しました。いずれにしてもオカザキが原因である。(読んでいない方は先に読んで)

隔壁歪みの内容がどのような物であるか知って欲しい。
完成検査で、船首寝室のドアが開閉が出来ない事がわかり、オカザキの「金地寛幸」に、隔壁のドアを確認するよう指示したが、裁判になるとこれを否定。裁判になってから言い出したと主張した。これがでたら目である事は、直そうとしないオカザキに対して、私がドア修理のための見積書を作り、これを支払えと内容証明と一緒に請求している。これが何よりの証拠である。

写真:平成22年9月5日、隔壁が歪んでいる事を見つけ、「金地寛幸」に連絡したが、彼の口ぶりから、これは証拠が必要だと考え、7日に再び船へ行き撮影した。
「金地寛幸」に伝えた時は、まだこの程度の歪みであったが「金地寛幸」がそのまま放置したため被害が広がった。

 ドア歪み計測 001
上の補強金物は、寸法確認のための仮の製作物である。

2.隔壁歪みの過程

船首寝室の隔壁がどのように歪みだしたかの証拠は、隔壁のドア開閉がどの様に移推したかを説明すればわかる。

1)  平成22年4月8日事故直後の状況

この時点で、ドアの開閉に問題がなかった事は、「金地寛幸」も認めており、私も退船のさい、船室をかたずけるため、何度もドアを問題なく開閉させていた。

2)  平成22年6月16日検査

6月とはいえ、既に猛暑が続き、当時ヨットにクーラーが無かったので、ドアは開放して固定していた。そのためドアが開閉できたかは確認できていない。しかしWCのドアは問題なく開閉出来ていたので、歪みもそれほど酷くはなかったはずである。

3)  平成22年9月5日検査

ドアは歪んで開閉できなくなっていた。ドアと言ってもこれは、隔壁の歪みが原因である。WCドアはまだ問題なく開閉できていた。

この時「金地寛幸」にドアが開閉できないので調べるように指示を出した。

 

このことについてオカザキは「裁判になってからいつのまにか言い出した」と主張を始めた。全くの大嘘である。証拠写真まであるのに、伝えない分けがない。

写真:オカザキが直そうとしないので、こちらで直そうとして送った見積である。「ドアの補修項目」がある。私は、9月5日の検査で9月9日札幌に帰ってから、10月15日まで神戸へ行っていない。即ち9月5日の検査で見つけなければ、9月30日に見積書を作成できる分けがない。

  9月再修理見積書 001

この見積書紛失して困っていたが、オカザキが提出してくれて良かった。感謝。

4)  平成22年9月15日 R社に調査・修理断られる

紹介してもらったR社が調査修理してくれる事になり、打合せのため、再度電話すると「やはりオカザキのやった仕事は出来ない」と断られた。この時「隔壁が歪んでいるのであれば、早く直さなければ元に戻らなくなる」との指摘があった。困った私は、M社に相談したところ「福岡へ持ってくれば修理してあげる」と言われ、福岡へ回航する事にした。

但し、法律的には「施主は修理業者に手直しの機会を与えなければならない」となっているので、オカザキヨットが裁判で、直すつもりだったと主張をされると困るので、しっかりと確認するのは忘れなかった。・・・・・・・・裁判するにはここが重要。

9月30日

業者は、修理の不備を直す権利と、それに必要な時間を得る権利を持っているので、いきなり他の業者に頼む事は出来ない。そのため、まず内容証明を送った。(上の見積書と一緒に)

10月8日

オカザキからの回答は「修理は完成している、後は追加工事代金を支払え」というものであった。

10月9日
オカザキは「修理は完成している」と主張したので、既に他社で修理が出来る条件は整ったが、再度念押しをした。

10月15日

10月15日、オカザキからの回答が来たが、当日回航するため、神戸へ既に出発していたので、FAXが受け取れなかった。

10月16日

ホテルでFAXを受け取った。内容は9月8日修理は完成している。修理中と完成写真は撮影していない。交換部品の写真は言われて撮影しているので、送るとあったが、ついに送られてくる事はなかった。

以上により、オカザキは完成を2度にわたって主張し、修理を拒否した。オカザキが再修理する権利を2度にわたり放棄したので、安心して福岡へ回航する事になった。しかしこの手続き期間中も、隔壁の歪みは進行していた。

 

5)  平成22年10月16日調査

R社の指摘があったので、10月16日、新西宮ヨットハーバーに着くなり、すぐドアを調査した。もちろん船首寝室のドアは、開閉できない。更に驚いた事に、前回開閉できていた、WCのドアも開閉困難になっていた。確実に歪みが進行していたのである。

早く、証拠を取集して直そうと10月17日福岡へ回航した。

6)  平成22月10月23日

各ステーを緩めてみたが、ドアの開閉が元に戻る事はなかった。後は、ゆるゆるのフォアステーを交換して前後に強く締めて、再度バランスをとる方法と隔壁交換であるが、隔壁交換は金額的に問題がある。

写真:9月5日ドアが開閉できなかった事と、23日ステーの張を調査した証拠。

9月5日~博多 001
 

 

7)平成23年4月再修理完成

フォアステーを交換し、全てのステーを調整したが、元にもどらなかった。ドアの一部を削り開閉できるようにし、キャッチの位置を上にずらした。この状態で様子を見る事にして、新西宮ヨットハーバーへ帰って来た。
ステー証拠図 001


8)平成23年11月26日

再び神戸へ行って、隔壁の具合を調査した。ドアのキャッチがずれている。やはり、隔壁の歪みは確実に進行していた。
26隔壁 001

歪みが止まらないのである。M社に相談したが適切な回答が得られない。隔壁の交換には、500万円の見積もりがでているが、オカザキとの裁判の状態を見ると、これを支払ってもらえる可能性は極めて低い。建築家として私の提案した補強に関してM社は懐疑的であったが、私の見解で補強する事になった。かわりにM社には一切の責任を取らなくてよいから、私の指示通り補強して欲しいとの条件を提示した。M社はこれに同意し、私はその冬何度もM社と意見を交わし、補強図面を完成させた。

写真:私が設計した補強図面。
隔壁補強図 001
9)平成24年3~6月 何度か船へ行き、歪みを計測した。

どうですか、こんなに隔壁が歪んだのに、裁判では認められない。どうなっているか。
隔壁歪み検査左舷 001

隔壁歪み検査右舷 001

10)平成24年11月26日

再び福岡へ回航し隔壁補強をした。

隔壁補強をした後の問題点。

隔壁は、WCの壁と直行している。船首側から見ると隔壁は左右2枚で構成されており、この部分がWC壁側に折れているのである。(この部分に力が逃げ、WC壁が歪んだ)ここで補強金物をわずかに曲げなければならないが、位置が2cmほどずれているのである。それにも関わらず強く締めたため隔壁継ぎ目に段差ができてしまった。どうも曲げる位置を左右反対にしたらしい。気になったが、時間もないのでとりあえず、その状態で良しとした。(責任は全て私がとる事になっている)

上架せず、ステーを緩め、取り付けたため、歪みの改善が思ったほどではなかった。しかしこれ以上は進行しないと判断したので、とりあえず後日考える事にして、ヨットを引き取った。(責任は全て私がとる事になっている)

補強金物は、付いている物を利用して、折り位置を変えようとしたが、無理だから新たに作った方が良いといわれ、作っておいてもらう事にした。

 

11)平成29年5月、隔壁再修理。

隔壁の段差がどうしても気になり、再修理をした。補強金物の折曲げ位置を正しくする。上架して、隔壁の歪みを取り払った状態で、補強金物を付ける。但し今までのボルト穴は、一部だけ利用し後は開け直す。なぜなら同じ穴を無理やり利用すると、折り曲げ位置は合うが、歪みは元の修理した状態に戻るからである。

再修理はどうなったか。

まず、クルージングの途中で福岡へ寄ったため時間がなかった。

上架して、ウイングキールーに当て物をし、隔壁をリラックスさせたところドアの状態がかなり改善され、キャッチは元々の位置に近くなった。このまま固定できれば満足であった。

だが、予め作っておいた補強金物は、大きさが僅かに大きかったのである。慌てた。作り直しになった。新しい物を削ったか、古い物の曲がりを補正したのか、聞かなかったが、遅くなりそうなので、ホテルへ帰った。これが失敗の元になったらしはい。曲げ位置は良かった。しかし改善したはずのドアは、ほとんど元に戻っていた。どうも元の穴に入れたらしい。これは確認してもしそうなら「再々修理」をするつもりである。

だが強固に補強されたので、船の剛性は高まり、以前よりもしっかりした船になったと考えている。


12)隔壁再修理にかかった費用。

隔壁見積書 001

この請求書には、ゲートスタンションとジブファーラーの再再修理が入っている。更札幌から出かけて回航した費用が別にかかった。


3.ステー調整不良の理論
私は、模型を作って実験、この写真を裁判所に提出した。

1)ステーが船体を歪める実験
写真:フォアステーの影響解析
隔壁歪み実験 001

2)隔壁の歪みとドアの関係実験
ドア吊上がり実験 001
3)ヨット断面とステーの解析
隔壁歪み断面図 001



4.まとめ

私は、隔壁が歪んだ原因を、裁判でも認められたフォアステーが長かった事に起因するステーの調整と主張しているが、オカザキヨットは、湿気のせいにしている。しかしいずれにしても、その責任はオカザキにある事は「フォアステー編」「雨漏れまとめ編」を読めば分かることである。

又、この経緯を読めば、隔壁の歪みがじわじわと酷く成っててゆくのが分かると思います。建築家としての見解は、隔壁が合板であるため、歪みにより合板に伸びる面と、反対面は縮み、その力の向きが逆のため、内部で剥離が起きた原因である事は明らかである。この剥離の進みが隔壁歪みの進行の原因である。

しかし、裁判所では認めてもらえず敗訴した。修理から帰って来たヨットの隔壁が破損していたのに、これを認めない。この裁判はどうなっているのか。誰でも修理に出した物が、壊れて帰ってきたら、修理業者に責任を取ってもらうだろう。

 


5.判決


1)平成25年9月17日 尼崎地裁判決

下記の理由で却下されが完璧な誤審である。裁判官はオカザキに騙された。

①バックスティーは、本件修理前もきつく締められていたこと。
②被告の「サイドスティーを閉める以外に寝室の隔壁が曲がる原因が
 あるか」との質問に対し、M社の担当者は「船体が歪んだと思う。
 理由は多々あり一概にサイドスティーとは言えない」と回答したこ。

上記の事を理由として、以下のように結論付けて却下された。

M社の調査でそもそもその原因は不明であり、マストの倒立作業後、サイドスティーの調整不良やバックスティーをきつく締めた事ことでドアの開閉不良が生じたとも認めるに足りない。
従って、不必要なマストの倒立作業を行い、マストを戻す際に、サイドスティーの調整不良やバックステーをきつく締めたことにより、界壁を歪ませたとの被告の主張を採用することはできない。

(コメント)

「バックスティーは、本件修理前もきつく締められていたこと」これはオカザキが、インチキな証 拠「甲21号証」を使って、正しい回答をして、裁判官を信用させた。
その上で私が「オカザキがバックステーを強く締めたのが原因である」と主張しているが「オカザキも同様にきつく締め付けたのに何の問題があるか」と正しい主張の中に嘘の主張を混ぜるというテクニックを使った のである。
私は「オカザキがバックステーを強く締めたのが原因である」等とは主張していない。真逆である。私は、「この証明はインチキである。オカザキの主張を信用させるための主張である」と証拠を上げて説明したが 裁判官は、見事にだまされた。
なぜなら、M社の報告でも「フォアスティーはゆるゆるだった」とされ、裁判官も認めた
ではないか。(ジブファーラー・フォアステー編参照)
私は、ターンバックルが無いフォアステーがゆるゆるなのに、それを締付けたバックス
ティーがきつく締められている分けがないと主張した。
 ・・・・ヨットマンなら誰でも分かりますね。


「サイドスティーの調整不良やバックステーをきつく締めたことにより、界壁を歪ませた
 との被告の主張を採用することはできない。」

何を言っているのか。私の主張と全く真逆ではないか。私の主張は「フォアステーとバックステーはゆるゆるで、サイドスティーはそれをカバーするためにきつく締められた」と主張しているのである。
裁判官も「フォアステーがゆるゆるだった」と認めたではないか。フォアステーがゆるゆるなのにそれを締付けたバックスティーがきつく締められている分けがない。なにせ、バックステーのターンバックルが短すぎて強く締め付ける事が不可能だった。・・・・・・・皆さん違いますか。


M社の担当者は「船体が歪んだと思う。理由は多々あり一概にサイドスティーとは言えない」と回答した。

これが判決を大きく作用した。しかし担当者の主張は、私の主張するサイドスティーの締めすぎは原因ではないと否定したものではない。又、サイドスティーは適切に締付けられていたと証言したものでもない。他にも原因があるのではないかと言っただけである。
裁判官は、オカザキの主張を補強するために利用したに過ぎない。
そもそも、M社と裁判官は、フォアステーとはゆるゆるだったと認めているではないか。当然バックステーもゆるゆるであった。何故その状態で私はセールを張って、神戸~福岡
まで再修理のため航海できたのか。どうしてマストは立っていたのか。マストを固定するには当然サイドスティーをしっかりと締めなければならない。フォアステーとバックステーがゆるゆるの状態では、サイドステーの締め付けが以前と同じ状態では、ぐらぐらする
のは当然である。ところが私にはマストに問題が無いように見えた。
これはおかしい。それは「サイドステーを以前よりも締め上げた事で解決した」・・・・・皆さん、私の主張は間違っていますか。
更に、オカザキが他の原因とするのは「湿気」である。しかしこの湿気の原因がオカザキの不良工事による雨漏れである。当然M社が言う「理由は多々あり」の中一つの要因であろう。だがM社からは「オカザキが修理した個所から雨漏れがしていた」との報告がある。
バウハッチからも大量の雨漏れをさせた。私の主張・オカザキの主張いずれをとっても
その原因はオカザキではないか。

裁判官「佐藤志保」は、オカザキの主張を、私の主張に置き換えてしまった。私の主張とは全く真逆な判断をしてしまった。ウインデックスの時も簡単にオカザキに騙されている。この裁判官はいったいどうなっているのか。
私はこのコメントを打ち込んでいる最中、怒りで手が震えた。

ヨットがゆがんで戻ってくる。オカザキは、私が「金地寛幸」に隔壁がゆがんでいる事を伝えた事実を隠ぺいした。しかし伝えた事実はオカザキの提出した私からの再修理見積書「甲10号証」にドアの修理項目がある事からも明らかである。私は、船内に湿気が多かった理由は、ヨットのせいではなく
オカザキの修理が原因である事を証明して見せると、2度と「湿気けが原因であると主張しなくなった。オカザキは自分に責任があると自覚しているから、私がクレームを主張したのは裁判になってからだと主張し、私が連絡した数々の事実を隠蔽したのである。
皆さんは、修理に出したヨットが壊れて戻される。容認できますか。修理に問題が無かったとの証拠はオカザキが上げるべきではないですか。

私は当然上告した。


2)平成27年12月18日 大阪高裁判決

M社の調査結果、本件ヨットのドアの開閉不良の原因は「不明」とされ(乙45)、控訴人の「サイドステーを閉める以外寝室の隔壁が曲がる原因があるか」との質問に対し、M社の担当者は「船体が歪んだと思う。理由は多々有り一概にサイドステーとは言えない。」と回答したこと(乙36)が認められる。そうすると、本件修理後、本件ヨットにドアの開閉ができないという不具合が出現したことは認められるものの、M社の調査でもその原因は不明とされており、本件全証拠によっても、オカザキヨットがサイドステーの張りを強くしたことが原因で本件ヨットの界壁の歪みが生じたとは認められない。したがって控訴人の上記主張を採用することはできない。
・・・・とされ敗訴した。

 

(コメント)
①尋問時間が短すぎる。
私が敗訴した原因。はっきり言って裁判所は全く尋問の時間をとってくれなかった事にある。
約34項目に上る多数の訴えに対して、尋問時間はわずか40分である。1項目1分10秒。各項目を読むと分かるが、金地寛幸による偽証。これらを指摘する時間さえない。 く尋問がなりたたない。最低でも、1項目10分は欲しかった。違いますか。そのためこれに関して一言の尋問もできなかった。・・・・こんな裁判があるか。内容の膨大さに関係なく尋問時間40分。私は参考のため大きくの裁判を傍聴した。一つの項目でも、最低30分以上尋問させている。又、内容の多い物については、間に休憩時間まで挟んで尋問されている。・・・・国民の裁判を受ける権利が侵害された。

②ヨットマンなら誰でも分かるはずである。
ヨットの船体は柔らかい。したがって各ステーをバランスよく締めあげねば、船体は歪んでしまうこれは常識である・・・違いますか。
それにも関わらず、フォアステーとバックステーはゆるゆる。サイドステーを強く締めねば、マストはぐらぐらになる理屈ではありませんか。(フォアステーが長すぎてゆるゆるだった事は認められた:フォアスティー編参照)
そんな状態で船体が歪まないはずがない。違いますか。そのためオカザキは湿気のせいにした。しかし施工不良による多くの雨漏れを指摘されると、主張しなくなった。又、引取り前検査で私からドアが開かなくなったと指摘され、調べるよう伝えたにも関わらず何もしなかった。直さないのでその分の請求書まで送られているのに(オカザキが証拠として提出した)裁判になってから指摘されたと嘘を付く。・・・・オカザキが自分のせいだと理解していたから私に責任を被せようとした主張である。・・・・・違いますか。

3)最高裁に上告

  却下され、判決が確定した。

これは尋問時間を与えられなかったための誤審である。最高裁へはこのブログを通じて訴える。国民にさ裁判の権利である尋問の時間を与えろ。





 株式会社オカザキヨット裁判(以下オカザキヨット、又はオカザキと称す)

 
(本件は、小豆島の岡崎造船とは一切関係ありません。)

新西宮のオカザキヨットは、主張をころころ変え、でたらめな主張を「金地寛幸」は偽証を繰り返した。

修理を全てやり直したのにも関わらず、大阪高裁はオカザキヨットに支払った工事代金の内、ほんの一部の返還を命じただけであり、驚くべき事に、もし未工事であるならばこれは瑕疵ではないとしてその部分は却下された。全て判例違反であると、最高裁に全額返還を訴えたが却下され、私は訴える手段がなくなった。これは誤審である。大阪高裁の判決が正しいか、いつ同様の(ヨット以外でも)被害にあうかも知れない国民に、問うものである。

 
私はこのブログの準備中に、オカザキヨットの社長が息子に変わった事を知った。新社長になっていきなりこのブログでは気の毒だと思い、会社の対応が変わったか新西宮ヨットハーバーの事務所に新社長を訪ねた。しかし従業員だけしかおらず、新社長は横浜であると言う。
ネットで対応ができると言うので、TV電話で対談した。だが「この件はおやじに任せてある」と主張し話し合いにならない。「なんならおやじを呼びますから、そちらと話しますか」と言われた。私は、前社長に恫喝されていたので、会えば喧嘩になると困るので仕方なく引き上げた。・・・・要するに会社の対応は変わらないと判断し、ブログを立ち上げたのである。
 
 

オカザキヨット不良修理:雨漏れ総集編

1.初めに。

オカザキヨットは、交換したフォアステーが長すぎたため、ステーの締付ができず調整不良となって隔壁を歪めてしまった。そのため、隔壁補強工事が必要になった。しかしオカザキヨットはこれを認めず、逆に私のヨットは「湿気が多い、結露も見られたこれが原因だ」と難癖をつけた。冬でもないのに、6~9月に結露するヨットなど有るわけがない。違いますか。オカザキがそう主張するのであれば、「隔壁歪み編」の前に、今まで各編で説明した雨漏れを総集した「雨漏れ総集編」を発表する事にした。オカザキが起こした雨漏れ、これが湿気が多い原因である。

 

 

1)バウハッチ雨漏れの証拠を残そうと、「金地寛幸」に電話した。
平成26年12月1日提出「金地寛幸」通話反訳書

平成22年8月11日の通話記録

私:あのあれ、ハッチから水漏れ直したの雨漏れ。

金地:えーと、前のハッチ?

 私:前のハッチ。

金地:後ろ、後ろのハッチは終わっていますよ、はい。

 私:あー、すぐ直したのかい。

金地:前のハッチってあのーあれでしょう、交換した方でしょう。

 私:うん交換した方のハッチ

金地:すぐ直しましたよ、次の日いっぺんにあのー、コーキング
   しなおして。
はい、全部。

 私:外さなかったの。

金地:いや外しましたよ。

 私:外して、コーキングしなおして。

金地:そうそう。

金地:うーん、分かりました。

 

2)こんな会話を交わしておきながら、裁判になったら嘘を言い出した。

H24.8.31 尼崎地裁「金地寛幸」陳述書 

雨漏りの主張はよくわかりません。雨漏りのするような修理はしていませんし、この裁判になってからいつの間にか主張されるようになったものですが、ヨットであり、常時屋外に保管されるものであることからすると、引渡しをして1ヶ月くらいの間には雨も降るでしょうから、その時点で雨漏りがするなら判明したはずです。しかしこの裁判で雨漏りの主張が出てくるまで、被告から雨漏れがするという話は聞いていません

(コメント)

6月16日に検査に行き、20日雨漏れ、わずか5日間で雨漏れがばれた・・・・。
どうですか「金地寛幸」のこのずうずうしさ。これを聞いた皆さんは、これでも「金地寛幸」の主張するように雨漏りのするような修理はしていません」バウハッチからの雨漏れは無かったと主張できますか。しかも私は札幌に住んでいます。20日に雨漏りが判明しなければ、次は9月の検査までわかりません。しかし9月に行った時は雨が降らなかった。多分1年経っても分からなかったと思う。それにも関わらず「1ヶ月くらいの間」・・・・・馬鹿にするにもほどがある。

私の見立てでは、コーキングが全くされていなかったと思う。なぜなら少しでもコーキングしてあれば、あれほど激しく漏る分けがない。普通、「ぽとぽと」とか、ひどくとも「ちょろちょろ」ではないですか。

 

2.私の船の湿気対策

前のヨットでは、長期保存した衣料などは、湿気により多少カビ臭かった。だが結露等が起きる事はなかった。しかし、スターンチュウブからの、水滴で、ビルジが溜まるのは気分がよくなかった。長期に渡って寝具だけではなく、衣類も保管しているので、ヨットを買い替えた時、湿気対策をしっかりする事にした。

1)   スタンチューブをP・S・Sシステムにした。
これによりスタンチューブから一切の海水は入らなくなり、ビルジも溜まらなくなった。即ち、湿気の原因がほとんど無くなったという事である。

写真:P・S・Sシステム

PSSシステム 001

 

2)保温と結露防止のため、2液難燃性硬質ウレタンホームを吹付て断熱 
私は、北海道の建築家で、結露対策については詳しい。冬季間ヨットで暮らせるように、寒さ対策として、2液難燃性硬質ウレタンフォームを吹き付けて、可能な限り、断熱化工事をした。吹付箇所は次の通りである。

①海水に接触する船底・船側への吹付
②外気に面する隔壁、保温・結露対策。
③水タンク周りを断熱、タンク底へ湿気が回る事を防ぐ。
➃外気に接する壁を断熱。保温・断熱・継ぎ目からの海水漏れ対策。
写真
断熱化工事 001

オカザキは「他の船よりも湿気が多かった」と主張しているが、これだけ、断熱や結露に注意を払っているヨット、見た事ありますか。私は、他船より確実に結露が少ないと自負しています。
但し火災に対しては不燃ではなく、難燃性(自己消化性)なので、ヨイ子の皆さんはまねしないでください。(ABC商会・インサルパック)


3)水取パックを各ロッカーに入れた。

私は、昨年まで、水取パックは薬剤部分の区切り板まで、水が溜まれば交換するものだと思っていた。しかし、昨年もっと上の方に満水の印が付いている事に気付いた。それほど煩雑に、パックを交換していたのである。当然船は乾燥し結露やカビなど発生のしようがない。

私のヨットは黴臭くない、湿気対策、万全ではないですか。

 

3.オカザキの酷い修理による雨漏れの発生個所。

 

1)  バウハッチからの激しい雨漏れ。

バウハッチから激しい雨漏れがした。しかし、オカザキの「金地寛幸」は裁判で「雨漏れがするような修理はしていない」と主張した。しかし「金地寛幸」や「岡崎社長」は卑劣な男だと気付いていたので、このような主張をするだろうと想定していていたので、証拠を残す為、雨漏れの修理結果を電話で聞きこれを録音した。そのおかげで証明する事ができた。それにしたも卑劣な男である。6月16日検査に行ったが当日の夜中0~2時頃もかなりの雨が降った。(検査をする前の夜中)
当然雨漏れはしていただろう。その時気づかなかったが、後日マストを倒して置いてあった台の箱が濡れていたことに気付き、気象台の過去天気を調べて判明した。
確かに当日船台にあった船に書類を取りに入った時、ただ暑いだけではなく、湿気でむんむんしていたのを思い出した。その時は自分の汗のせいだと思っていた。

写真:台の箱が濡れている。
ウインデックス拡大 001

湿気が多かったのはオカザキヨット、お前のせいだぞ、違うなら反論してみろ。

詳しくは「バウハッチ編」で。

 

2)  船首アンカー収納庫にある作業口から、雨水が侵入。

オカザキが修理した後、船首寝室の船底に水が溜まりだした。船速センサーからの海水漏れかと思い、何度も耐水グリスを塗って経過を見たが、しばらくして船へ行って見ると、やはり溜まっていた。何度もグリスを塗りきつく締めたが改善しなかった。しかしM社が修理してからはピタリと浸水が止まった。
なぜ浸水が止まったかはあまり気にせずにいたが、沖縄クルージングで舷灯が良く切れるので点検のため、アンカーロッカーの点検口を開けた。しかし、コーキングされているのでなかなか開ける事が出来ない。(強引にすれば、蓋が割れる)
この時、平成22年9月5日検査の時、蓋は簡単に開いた事を思い出した。すなわちオカザキはコーキングせず、蓋をしたのである。

この点検口の真上には、アンカーローラーがある。これは全く雨どいと同じである。雨が降ればこの樋から、点検口に雨水が降りそそぐ。点検口の蓋がコーキングされていなければ、当然たくさんの雨水が入る。航海中だと海水が侵入する。

写真:⑤コーキングしないため雨水が侵入した跡が歴然。

 改め口雨漏れ 001

湿気が多かったのはオカザキヨット、お前のせいだぞ、違うなら反論してみろ。

詳しくは「パルピット編」で

 

3)  スタンション・ゲートスタンションからの雨漏れ。

オカザキは、スタンションやゲートスタンションを交換したが、そのさいコーキングを充分せず、締め付けも不足であった。

コーキングについては、私がコーキングがはみ出して汚いと主張した事を利用して、「はみ出すほどコーキングしているので、あまもれなどしない」と主張したが、汚くはみ出していたのは、補強金物とスタンションの一部分だけで、スタンションは、コーキング不足であり、スタンション全周にはみ出すほどコーキングはされていなかった。

締付けに関しては、適合しないサイズの大きなナットを使っており、しっかりと締付けられていなかった事は、M社の調査・修理結果報告書でも明らかである。多分強く締め付けるとネジ山が壊れたことだろう。(スタンション編参照)

ほぼすべてのスタンションから雨漏れの痕跡があったが、特にひどかったのは、フェンダーを下げていた左舷側に集中していた。これは明らかに締付が弱かった証拠である。

写真:②左舷スタンションからの雨漏れ痕跡。

コーキング不足 001
 

湿気が多かったのはオカザキヨット、お前のせいだぞ、違うなら反論してみろ。

詳しくは「スタンション・ゲートスタンション編」で

 

4.まとめ

私は、隔壁が歪んだ原因を、裁判でも認められたフォアステーが長すぎたことに起因するステーの調整と主張しているが、オカザキヨットは、私のヨットは湿気が多いとし、湿気のせいにした。しかしこれを読めば私はしっかりと湿気対策をしており、オカザキの出鱈目な修理がその原因であると理解できたと思います。

私のステー説、オカザキの湿気説、いずれをとっても、原因はオカザキヨットにある。

雨漏れで、オカザキヨットとトラブルを起こして裁判している人、本件の反訳書を使って、オカザキは平気で嘘をつく事を証明してはどうですか。

 

5.判 決

雨漏れ編は、各編に付属した物を「まとめ編」として総集した物であり、この編自体の判決はない。


 

「オカザキヨット不良工事」次は、「隔壁の歪み編」を予定しています。

2004年小笠原航海記

これは、2004年、2回目の小笠原航海です。

前回は、体調不良で八丈島に寄りましたが、今回も直接向かいました。なぜなら
海流の関係で、銚子⇒八丈島はけっこうむずかしいからです。
(前回は、八丈島の真横まで進み、体調の限界を感じ八丈島へ行きました。
 従って、潮の影響がありませんでした)

小笠原実績表 001
銚子⇒小笠原
銚子を出発小笠原へ向かいました。途中、少し風が強いことが一度だけありましたが、風向きは良く、何の問題もなく簡単に着く事ができました。小笠原へは、3時頃到着、すでに先客のヨットが漂っていました。私も夜間入港は危険なので、漂っていました。気が付くと既にヨットは消えており、私もあわてて入港しました。近道をすると浅瀬に乗り上げる危険があるので、右の山に沿って大曲で入港、6時着岸となりました。

小笠原⇒銚子
帰りも順調に航海しましたが、13日八丈島を過ぎたあたりから時化が始まり、揺れがあまりに激しく、船底が波に叩かれるので、ヒーブーツしました。確かに静かに揺られているだけになり、横になっていましたが、1時間もすると飽きてきて、再び航海をはじめました。やがて時化も小さくなりこれで大丈夫だと安心して航海を続けましたが、6時間ほどして再び時化がはじまりました。多分前線がYの字にあったのだと思います。銚子沖に接近した時は、時化もほとんど収まりましたが、夜中なので船側を落とし朝になってから入港しました。だいたいロングをして帰るときはいつも時化の中を走っています。

これが当時愛艇だった。カタリナ320です。今の350よりは、船体の強度があると思います。
2004銚子出航 001

今回は航海写真を撮っていません。相変わらず疲れているので。八丈島を
過ぎると突然海の色がコバルトブルーに変わります。南だと実感する一瞬です。
2004自撮り 001
こんな感じで、毎日小さな山を征服して楽しみました。多分自撮り棒の
元祖は私でしょう。三脚の1本を伸ばして、上から撮影しています。
(祭りでは、更に、1本タイプを追加して空撮の様に撮影していました)

母島大砲 001
母島では、旧日本軍の大砲の前で。アメリカ軍は上陸しなかったらしい
です。要するに、食料供給責任のない捕虜収容所。
塹壕も多いですよ。日本兵になった気分が味わえます。

2004ダイビング 001
東京方面へ2時間ほど戻った岩礁でダイビングをしました。たしか「マグロ岩」
とか言っていました。ちなみにダイビングは、昭和46年ごろからやっていま
す。2016年は与那国でやりました。(趣味は、浅く広くがモットー)

先にコメントしましたが、小笠原は環境問題がうるさいので、油は一滴も漏らし
たらだめだと言われます。必ず洗剤で、中和液を作って用意しましょう。
無線は、ダイビングショップ「KAIZIN」の山田夫人がやっていて、この
業界では有名人です。12時20分~13時のオケラネット心強いですよ。
周波数 21.437MHZ

銚子~小笠原~沖縄~銚子のトライアングル航海を、アップしようと思いまし
たが、資料が船に中で駄目でした。今度船へゆくのは3月中頃で、来年春に、
近海の船検が切れるので、今年は最後の沖縄航海になるかも知れません。

兵頭さんお粗末ですみません。

兵頭さんなら。名古屋⇒八丈島⇒小笠原かな。途中、御蔵島へ向かった場合
「銭洲」という岩がありますので注意して下さい。神戸から日本一周に
出かけ、いきなり衝突して、沈没させるところでした。ここにぶつかると
思って、赤の蛍光ペンで囲っておきましたが、夜間赤灯の下で見ると、全く
見えませんでした。そのため、予定通りに衝突、ウイングキールと喫水線
部分を痛め波が来ると、船腹ときしきしするキールから浸水、松崎で修理に
1か月かかりました。

<小笠原⇒沖縄航海>(2007年?)
3回目の小笠原航海の時、思いっ切って沖縄へ向かいました。一か月の漂流を
予定して、食料を積み込み、他にシーアンカーを200mほど用意しました。
ウインドベーンは、日本一周のため南方諸島へ向かうのに、近海を取った時に
付けてありました。もし、エンジントラフルがあったら、神戸まで黒潮に乗って
帰るつもりでした。

小笠原から、沖縄は、6泊7日の旅でした。相変わらず単独です。小笠原を
出航すると、後ろから警備艇が追いかけてきます。何か問題?と思っていた
ら、「気を付けて行って下さい」と声をかけ戻って行きました。さすが観光の
島と感激しました。
毎日、太陽が前方に沈むと、後ろから月が出て、朝には前方に沈み、
又、後ろから
太陽が昇る。これの繰り返しでした。毎夜月を見ながら
一人「月の砂漠」を歌っ
ていました。月明りでギラギラ光る海は正に
砂漠です。
機帆走でしたが、燃料がギリギリだったので中間地点まで行ったとき、セール
だけで半日ほど走りました。しかしよく考えると、どんどん燃料を使って沖縄
近くで燃料切れを起こした方が安全だと気付き、残20リッタまで使おうと、
エンジンを回しました。
燃料節約のため、6ノット以上出ると、エンジンの回転数を1800とかに落と
していました。自動操舵、冷蔵庫と電気を使うので、帆走だけでは無理です。
当時ソーラを積んでいませんてした。もし、燃料切れを起こしたら、後は
ウインドベーン使います。運よく30リッタほど残して、宜野湾に着きました。
昼、12時前にエンジンを止めて、オイル点検・食事をしながらオケラネット
で交信。(事前に、風向風速、気圧、波の高さ、うねりの高さを調べて報告)
13時になったら、又23時間エンジンを回していました。それといつ嵐に
あうかも知れないので、補給に苦労しないように燃料は毎日補給していました。
ポリタンク4個の箱を作り甲板にも置きました。たしか全部で9個180
リットル積みました。(+燃料タンク)

大東島へあと一日と近づいた頃、風がパッタリと止まり、時化てもいいから
風が欲しいと考えていたら、2時間ほどたって、風が吹き始め、まもなく
とんでもない嵐になり、ひどい目に会いました。(詳しくは、後で)
一度うねりが後ろからやって来た事があります。その高さは初めての経験で
した。海の底から小山の上に上がる感じです。それほどの高さを感じました。
手で操船してみましたが、10分も操船できませんでした。後ろをおされる
ので、わずかな油断で船が横向きになってしまうのです。
幸い、以前ハンドルに付いていたひ弱なオートヘルムを、必要以上に大きな物に
変えていた事が役にたちました。(使わない、ウインドベーンもあります)
うねりが来て、船が持ち上がってゆくと、サーフィン状態になって、船が突っ
走ります。しかし、うねりの方が早いので、最後には追い抜かれ、山を登る
事になります。登りながら実は海の底に沈んでゆくのです。底に着くとまるで
どんぶりの底にあるサイコロの気分です。又サーフィンが始まります。
このうねりが、前の方からきたらどうしょうかと思うと、ぞっとします。
山の上に登ると、遥かかなたまで、うねった海が見渡せ、荒々しい風景が楽しめ
ました。半日(6時間)ほどがんばっていると、やがて静かになりました。
出向する時は、当然晴天を選びます。その場合高気圧の中心は本土側にあります
から、風向きは非常に良かったのを覚えています。
(日本列島沿いはほぼ向かい風ですが)
最後に忠告。毎日エンジン音を聞いていると、海から「お~い、お~い」と呼ぶ
声が聞こえだしますので、絶対海に呼び込まれないようにしっかりと、セフテイ
ハーネスを着用して下さい。

<どんな嵐に会ったか>

大東島まで、後1日を残し、風が弱くて思うように進みません。時化てもいい
から風が欲しいと思いました。私の願いが通じたのか、2時間ほどすると風が
出始めました。しかし4時間もたたないうちに、嵐になってしまいました。
私は、嵐などお願いした覚えはありません。
いつも、セールは早く縮帆する。これが外洋クルージングの基本。2ポンにして
機走していましたが、嵐になり、今資料がありませんが、3時方向40f以上、
波高5~6mくらいだったと思います。
嵐の気配がしてきた段階で、3ポンまで落とすことにしました。
今回このため3ポンを付けてもらったのです。しかし3ポンにしてみると、
なんと、余ったセールを中間で縛る穴が開いていないのです。ですから2ポンの
穴で縛る事になり、余ったセールに波をかぶると、袋になりブームに海水が
ぶら下がり、不安定になるのです。
従って、ジブフセールをもっと小さくする事にしました。しかしすごい嵐です。
巻き込もうとすると、シートがバタバタと波打つのです。そのうちシートが
互いに結び合い、巻き込めなくなってしまいました。
この問題を解決するために、船首に立ちました。足元の周囲は海なので、
その感じは、嵐の海の中でたらい船に乗っている感じでした。なんとか
ほどこうとしましたが、風の力で強く締まっているので到底不可能でした。
しかたなくあきらめました。この間、一度として大波がかぶって来なかった
のは幸いでした。
6泊7日、この間、この嵐の時、たった一艘の船にあいました。白い一見
調査船風の船で、近くに来るまで全く気づきませんでした。ヨットの100
m位前方を横切って行きました。様子を見に来たと思われます。遭難と間違
われたらいやなので、見栄を張って、船尾で腕を組んで立っていました。
なるようにしかならない。船室に入って寝る事にしました。もう何の工夫も
できないからです。それに、船室に入ると太平洋の真ん中にいる感覚がなく
なり、桟橋に船を付けている感覚になって、あまり不安を感じないからです。
(船の中は我が家で平気ですが、ホテルへ泊まるとホームシックになります)
又、ヨットが横転した場合、復元に問題は無いでしょうが、人間は溺れます。
これ以上対策がないので、しっかりとハッチを閉め、嵐の事は考えません。
「ああ、今大東島を過ぎたな」と思いながら朝を迎えました。外に出て見ると
海は静かになっていました。但し船内は、落下物でめちゃくちゃ。
ジブファーラーを見ると、下の写真の様に絡まっています。激しいバタつきで
セールが裂けていると思いましたが、このまま航海を続け、宜野湾でほどいて
見ると、問題がなくてほっとしました。
大東島通過 001

<番外編:これが僕のスタイルです>

現在の愛艇、カタリナ350。濡れた物を掛けるための、独立したシャワー
室と、セールを仕舞うのがつらくなってきました。マストを変えたかった
ので、買い換えました。ドジャーは良く出来ていますが、幅が4mもあり、
広いので、風の影響を受けやすく、航海というより、居住するための船です。
向かい風の時は、雨が降っても中央のドジャーを跳ね上げて航海しています。
画像 166

①船から、岸壁にかかっている。梯子に注目して下さい。乗り込み
用の足掛かり
パイプがあり(梯子の下部分)、これがある事で、桟橋
から多めに離して係船する事ができ、
波のショックを防げます。
岸壁が高い場合、これを上に向け、パイプに梯子を
差し込みます。
この仕組みは、最高です。いつも自慢しています。ロープで自立させる
ことができるので、2メートル以上の落差があっても、するすると登り
簡単に
もやいがとれます。(2018年、支え棒を製作しました)
又、船が流されそうな時は、自立させておくと、岸壁から離れても倒れ
ませんので、極めて安全です。
兵頭さんのように、日本中の港全部制覇
する勢いの人は、ぜひ製作してください。
上陸したら、付けっぱなしでロープを結んでおき、船側に倒します。
乗船する時、このロープを引っ張り岸壁にかけます。(下の写真参照)

又、梯子はスタンションのカーブに合わせて、作成しているので、
スタンションに
取り付ける事により、落水防止の働きもします。

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②ハンドルの前の、軽油タンクを入れてある箱に注目して下さい。軽油タンク
が青く見えます。四つ隅だけを固定した。透かし箱にタンクをいれています。
蓋を付けて、下には、灯油ポンプ。上で食事をしたり、入港の時海図を広げ
ます。底には、滑り止めを張って下さい。かなりの揺れでもなんとかなります。
自慢するのは、下の写真のように、コンパクトに解体収納できる事です。
そのため透かし箱にしています。下の写真は、不要になりばらして、縮小
したところです。空のポリタンクはいろいろな隙間に押し込んでいます。
IMG_0240

③絶対、ハーネスを外しません。航海中は24時間、寝ている時も
付けています。ハウスから出る前に、ハーネスを引っ掛け、外に出ます。
救命胴衣は意味がないので、着けるのは、出・入港の時だけです。
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④私の長距離航海用の朝食。
ご飯はパックを温め、ご飯の半分をよけて、卵かけご飯です。水を使わないため
です。納豆は、脳血栓予防のためです。野菜は、果物・玉ねぎから。総合ビタ
ミン剤・ゼリーの栄養補給剤はかかせません。航海中ビールはほとんど飲み
ません。小笠原~沖縄航海。漂流は、1か月を予定して食料を積みました。

IMG_0475

⑤なんのため、沖縄へゆくのか。
豚足の柔らか煮とオリオンビールを飲むためです。二日連続市場に行って
豚足とオリオンビール。三日目はどこかの食堂。毎日行ったら馬鹿かと
思われるので、この繰り返しです。
(沖縄で合流した息子と)
IMG_0265
オリオンビール、お土産に持って帰った事がありますが。他県では全く
美味しくありません。
そういえば、兵頭さんは「オリオン」でしたね。


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