長くて短い人生「JINNSEIーOKINA」があっちこっちへぶっ飛ぶよもやま話、
阪神淡路大震災/復興工事でのエピソードと労災事故
一般道が高速道路
今日は久しぶりに現場が休みになったので、神戸の災害の様子を見た事がない、(僕の現場、神戸の端でしたからね)行って見ようというので仲間とでかけました。神戸の街は通行規制がかかっており、神戸の主幹線は交通規制がかかり、一般車両は通行できませんでした。私たちは災害復旧事業者ですからA4の通行カードをもらっていました。これをフロントガラスの前へ置けば通行OKです。
青信号になると、警官が横道から出て来る車を完全に素早く遮断し、工事用車両が突っ走るんです。普段は50Kmの道路を警官が見ている前で80Km位で走るんですから、もうほとんど高速道路状態でVIP扱いでした。
しかし、それに目を付けたづるい人達は、通行書をコピーして走り始めました。交通量どんどん増える。これに手を焼いた警察は、警察のマーク入りの通行書を発行しました。・・・・・さすがにこれをコピーしたって話聞かなくなりました。
危うく落下事故/俺は体操選手か
プレハブの部材、主に壁ですが、これは両面に合板を貼ったパネルでできており、高さ2.4m・長さ3.64m以下の大きさの物を、パレットという枠の中に7~8枚立ててトラックに2個積み込んで運びこみ、これをクレーンで一気に現場の横に置きます。これを1枚づつ(室壁1面ずつ)クレーンで吊込み組み立ててゆきます。だいたい6戸ひと棟を1日で作り上げてゆきます。ですから、私の担当していた100戸等、6~7人で20日もあれば建て終わり、1棟は30日位で人が住めるようになります。
現場を見ると誰も居ません。工事いそいでいるので、皆が来た時すぐ作業できるようにパレットの中の部材そろえようと、2メートルあるパレットに登りました。
今度はパレットの向こう側に渡りたい。下に降りるの面倒だから、パネルにチョット乗って向こうに渡ろう。パネルは何枚か使ったので足かけると、ちょっとぐらぐらしている。こんな事してはいけないんだけど、ちょっとだけと思い、足かけて渡ろうとした瞬間にドミノの様にパネル倒れこんだ。
私は立ったまま見事に足すくわれ。空中に仰向けに飛んでしまいました。実は私絶対的な危険に会うと気のせいか一瞬時間とまる。空中に浮いた瞬間考えました。平行棒の様に足を上げたままで、両手をお尻の下に差し出し、パレットの角鋼枠に両手を突こう。しかしこの勢いでは両手で支えるのは難しい。そこで私は両手で少し支え、そのまま落下して足を曲げて引っ掛けよう。‥‥作戦が決ったとたん落下開始。まず両手で平行棒の様に体軽く支え、丸棒と違って握れないので、手の平を引っ掛けたままえびぞって落下。足を曲げて角鋼を引っ掛け停止する事ができました。頭の下にはずらっとパネルを固定するための鉄筋棒。しかし「このバレット考えたやつ、落下事故に対する対策全くできていない。どうして鉄筋の頭曲げていないんだ」腹が立ってきました。落下止めれなければ、くし刺しになるところでした。何本鉄筋が刺さった事か。・・・・・・両手を角鋼枠に引っ掛けたまま、手でしっかりとぶら下り足を離して回転。回転しながら手を放して安全な所へ落下。着地成功
・・・・・・思いました「俺って体操選手みたい」運が良かった。・・・・結局はその後事故っちゃうんですが。とりあえず危機回避。
パネル置き、ワイヤ外して足滑らす/あばら骨3本折っちゃいました。
現場事故であばら骨3本折り、入院しちゃいました。事故って上手に誘い込まれるんです。避けるのは難しい。
現場は順調に進み、トップを快走。ここでもう一発ターボを利かそうと、工程を早める。別に無理して現場進めるなんて馬鹿な事したわけでは有りませんが。実力見せようとするなぞ、結局作業のリズム狂い見え張って大失敗。
・・・・・現場進めるんじゃなくて、事故に真っしぐら、進んじゃいました。この時点では結果は神のみぞ知る。
今日は午前中小雨。しかし、あっさり諦めず「もしかしてしばらく待てば作業始める事出来るのでは」トラックから荷降ろさず待機させました。・・・・・ますます事故に向かっていますね。
小雨やまず、昼からでは組立完了しないので作業は中止。諦めた所で昼休み。でも長野からパネル積んで来たトラックに降ろしして帰さねば。午後、待機しているはずのクレーン探すが見当たらない。・・・・・これで事故決定しましたね。
仕方なくあまり使っていないもう一台のクレーンに指図。どこに降ろすかしばし思考、この日はくい打ち作業作開始と同時にパネル降ろし、その後パネル積んだ横のくい打ち完成する計画。しかしパネル降ろし遅れたので、降ろそうとした時点では基礎杭完了済み。現場にずらっと何列も杭が並んだ。そのため杭の横で荷物降ろす事に。
このクレーン車いつも作業に使っていなかったので、パネル降ろしに丁度良いワイヤー無い。短すぎるので、パネルの上に乗ってワイヤー外し。・・・・・・高さ60cmにまとめたパネル降ろす。これはワイヤー外し問題なし。もう一つ、パネル少しずらして載せる。これ足掛かりにしてパネルの上に登りワイヤー外す。「俺って頭いいなー」・・・・・これ聞いた神様「馬鹿か」ってつぶやいた。
ワイヤー外して降りようとした。掴まる所無いので足掛かりに①段差にポンと足ついて飛び降りるか②それとも見た目悪いが、きっちり後ろ向きに足かけてパネルに手突いて降りるか・・・・・・疲れているせいかパッと決断できない。それにも関わらず体は飛び降りるため前進。シュミレーションが行動に追い付かない。段差に足かけるが、体は既に前のめり、目の前に杭が見える。(パソコンで変換したら「悔いが見える」って出ました。神のいたずらか)これはまずい、体直撃する。思わず腕を交差させて十字ブロック。体真正面から杭に突撃(今回の時間停止はこの程度でした。体ねじれなかった)ブロックした右腕の内側かすってわき腹に杭が食い込む。
激痛が走り、ごろっと地面へ。しばらく息が出来なかったが、荷物は片づけなければいけない。痛みこらえて残った荷物降ろすように指示し、自分は公園のベンチに倒れこんだ。荷下ろしが終わるの待つつもりだったが呼吸が困難になる。・・・・・・こういう時の携帯電話。しかし電話がつながらない。上には高圧電線それが原因か。
設備業者が配管作業をしていたので救急車を頼む。一人公園の向こうへ駈けて行った。でも戻ってこない、救急車案内するためだろうか。・・・・・しびれを切らしてもう一人が様子を見に行く。これも帰ってこない。俺は息も絶え絶え、とにかくあばら骨が痛くて大きく息が出来ない。酸素不足の金魚状態。・・・・・これはやばそうだな。このまま死ぬのかな。もう一人の自分が上の方から見下ろして冷静に言う。
ついに残っていた一人、様子を見に行くって言ってしまった。・・・・・・・・自分が死にそうになっていると思い、気持ち悪くなったのでは。・・・・・・だれもいなくなった。静かな公園の中自分一人。物音一つしない。遠くで車の音。もう一度携帯をかけるがやはりつながらない。
それからややしばらくして救急車がやって来た。すぐ近くと言っても1Km位離れた所にある。確か「伊川谷病院」と言ったっけ。病院に担ぎ込まれる。・・・・・とにかく息が苦しい。わずかしか息を吸わないので酸欠状態。ダイビングやっている人なら常識だが、わずかしか息を吸わないとほとんど気管の中までしか入らず吐き出されちまう。吸った空気ほとんど役立たない。・・・・・「酸素吸入してくれ」・・・・「意味ないと思いますが」。心の中で「ふざけるな、俺が一番わかっているんだ」
救急隊員、役目だろうが、呼吸困難の俺から氏名・住所・年齢聞き出す。苦しい息の中からようやく伝える。・・・・・・引き継いだ看護婦さんも同じ事聞く、なかなか言えない。だんだん腹が立って来た。少しづつ息を貯めついに叫んだ「ふざけるな」。
いろんな診察している間に少しは痛み和らいだ。診断は右わき腹の背中側角部分のあばら骨3本骨折。そのため背中に血が溜まっている。手術は明日。個室頼んだので点滴打ちながら病室へ。
義兄に連絡とったので、心配してすぐ飛んで来た。虫の息の俺を見てビックリ。(帰ってから妻には死にそうだって伝えたらしい)
一応夕飯は食べた。夜になったら小便したくなった。だが尿瓶使うって言われ、これはまずい。掴まれたらどうしょう。絶対生き恥は晒したくない。ほとんど体は曲がらなかったが看護婦さんに手を引っ張ってもらって起きた。これはやばい看護婦さん手を放すかも、と思われるくらい引っ張ってもらった。すごく痛かったが、とにかくメンツの為に我慢。
個室だったのでその点は良かった。
次の日、「手術しなくてもよさそうだ。背中に溜まった血が自然に抜けるのを待つ」本当にホッとした。なんせ私は注射が大嫌い。小学生の時医者と看護婦蹴っ飛ばして逃走したんだから。切られるのは割と平気だが、突き刺すって残虐行為が我慢ならない。
妻が来る
翌日の夕方妻が来た。義兄から「死にそうだ」って言われ来たそうである。あまりに早い到着でビックリしたが当然か。
妻は、千歳空港から神戸空港へ着く。ところが神戸空港からの交通手段がない。空港内は大騒ぎ。妻がウロウロしていると(相当目立つほどウロウロしていたんだろうな)取材の為着いたTVの人声かけてくれた。事情を話すと船をチャーターしたんで載せて行ってあげるから待っていて。妻無事に神戸へ着く。神戸の事は良く知っているので(大昔神戸で働いていた)無事病院へ到着。元気そうな俺を見て一安心。連絡を受けた時は相当うろたえたらしい。其の後数週間、病院の個室で一緒に生活。
退 院
まだ少し退院には早いがそろそろ退屈。後1週間ほど入院していた方がいいと言われたが、もうすぐ新幹線が開通する(災害復旧が完成し)というニュースを聞き、現場も完成が見えたので(引継ぎもあるので、時々義兄につれられ現場を見にいっていた)新幹線が開通する日退院を決める。
リハビリ
退院してそのまま札幌の自宅へは帰らず、リハビリを兼ねて妻と二人、四国の四万十川へアユ釣りに。其の後球磨川、長良川などと竿を片手に渡り歩き、北海道へ帰って来たのは3週間後。1週間家で静養。会社へ復帰したのは退院から1か月後でした。(こう書くといかにもアユ釣りが上手なように聞こえますが下手の横好き、さっぱり上達しません。近年は全くやっていず、人生最後にもう一度楽しみたいと思っていますが実現するか?)
怪我の具合は、3本もあばら骨折れたので、太くなった部分がごろごろと擦れる。今は自然に変形したのだろう、エビ反らない限り感触はなく、手で触ると分かる程度になった。普段は全く気にならない。
仮設住宅
この仮設は、解体しやすいようにネジ止めになっている。その後役目を終え、たしかトルコ地震の復興住宅として送られたって話が伝わって来た。・・・・世界を旅してるんだ・・・・・・。
阪神淡路大震災/復興工事でのエピソードと労災事故
一般道が高速道路
今日は久しぶりに現場が休みになったので、神戸の災害の様子を見た事がない、(僕の現場、神戸の端でしたからね)行って見ようというので仲間とでかけました。神戸の街は通行規制がかかっており、神戸の主幹線は交通規制がかかり、一般車両は通行できませんでした。私たちは災害復旧事業者ですからA4の通行カードをもらっていました。これをフロントガラスの前へ置けば通行OKです。
青信号になると、警官が横道から出て来る車を完全に素早く遮断し、工事用車両が突っ走るんです。普段は50Kmの道路を警官が見ている前で80Km位で走るんですから、もうほとんど高速道路状態でVIP扱いでした。
しかし、それに目を付けたづるい人達は、通行書をコピーして走り始めました。交通量どんどん増える。これに手を焼いた警察は、警察のマーク入りの通行書を発行しました。・・・・・さすがにこれをコピーしたって話聞かなくなりました。
危うく落下事故/俺は体操選手か
プレハブの部材、主に壁ですが、これは両面に合板を貼ったパネルでできており、高さ2.4m・長さ3.64m以下の大きさの物を、パレットという枠の中に7~8枚立ててトラックに2個積み込んで運びこみ、これをクレーンで一気に現場の横に置きます。これを1枚づつ(室壁1面ずつ)クレーンで吊込み組み立ててゆきます。だいたい6戸ひと棟を1日で作り上げてゆきます。ですから、私の担当していた100戸等、6~7人で20日もあれば建て終わり、1棟は30日位で人が住めるようになります。
現場を見ると誰も居ません。工事いそいでいるので、皆が来た時すぐ作業できるようにパレットの中の部材そろえようと、2メートルあるパレットに登りました。
今度はパレットの向こう側に渡りたい。下に降りるの面倒だから、パネルにチョット乗って向こうに渡ろう。パネルは何枚か使ったので足かけると、ちょっとぐらぐらしている。こんな事してはいけないんだけど、ちょっとだけと思い、足かけて渡ろうとした瞬間にドミノの様にパネル倒れこんだ。
私は立ったまま見事に足すくわれ。空中に仰向けに飛んでしまいました。実は私絶対的な危険に会うと気のせいか一瞬時間とまる。空中に浮いた瞬間考えました。平行棒の様に足を上げたままで、両手をお尻の下に差し出し、パレットの角鋼枠に両手を突こう。しかしこの勢いでは両手で支えるのは難しい。そこで私は両手で少し支え、そのまま落下して足を曲げて引っ掛けよう。‥‥作戦が決ったとたん落下開始。まず両手で平行棒の様に体軽く支え、丸棒と違って握れないので、手の平を引っ掛けたままえびぞって落下。足を曲げて角鋼を引っ掛け停止する事ができました。頭の下にはずらっとパネルを固定するための鉄筋棒。しかし「このバレット考えたやつ、落下事故に対する対策全くできていない。どうして鉄筋の頭曲げていないんだ」腹が立ってきました。落下止めれなければ、くし刺しになるところでした。何本鉄筋が刺さった事か。・・・・・・両手を角鋼枠に引っ掛けたまま、手でしっかりとぶら下り足を離して回転。回転しながら手を放して安全な所へ落下。着地成功
・・・・・・思いました「俺って体操選手みたい」運が良かった。・・・・結局はその後事故っちゃうんですが。とりあえず危機回避。
パネル置き、ワイヤ外して足滑らす/あばら骨3本折っちゃいました。
現場事故であばら骨3本折り、入院しちゃいました。事故って上手に誘い込まれるんです。避けるのは難しい。
現場は順調に進み、トップを快走。ここでもう一発ターボを利かそうと、工程を早める。別に無理して現場進めるなんて馬鹿な事したわけでは有りませんが。実力見せようとするなぞ、結局作業のリズム狂い見え張って大失敗。
・・・・・現場進めるんじゃなくて、事故に真っしぐら、進んじゃいました。この時点では結果は神のみぞ知る。
今日は午前中小雨。しかし、あっさり諦めず「もしかしてしばらく待てば作業始める事出来るのでは」トラックから荷降ろさず待機させました。・・・・・ますます事故に向かっていますね。
小雨やまず、昼からでは組立完了しないので作業は中止。諦めた所で昼休み。でも長野からパネル積んで来たトラックに降ろしして帰さねば。午後、待機しているはずのクレーン探すが見当たらない。・・・・・これで事故決定しましたね。
仕方なくあまり使っていないもう一台のクレーンに指図。どこに降ろすかしばし思考、この日はくい打ち作業作開始と同時にパネル降ろし、その後パネル積んだ横のくい打ち完成する計画。しかしパネル降ろし遅れたので、降ろそうとした時点では基礎杭完了済み。現場にずらっと何列も杭が並んだ。そのため杭の横で荷物降ろす事に。
このクレーン車いつも作業に使っていなかったので、パネル降ろしに丁度良いワイヤー無い。短すぎるので、パネルの上に乗ってワイヤー外し。・・・・・・高さ60cmにまとめたパネル降ろす。これはワイヤー外し問題なし。もう一つ、パネル少しずらして載せる。これ足掛かりにしてパネルの上に登りワイヤー外す。「俺って頭いいなー」・・・・・これ聞いた神様「馬鹿か」ってつぶやいた。
ワイヤー外して降りようとした。掴まる所無いので足掛かりに①段差にポンと足ついて飛び降りるか②それとも見た目悪いが、きっちり後ろ向きに足かけてパネルに手突いて降りるか・・・・・・疲れているせいかパッと決断できない。それにも関わらず体は飛び降りるため前進。シュミレーションが行動に追い付かない。段差に足かけるが、体は既に前のめり、目の前に杭が見える。(パソコンで変換したら「悔いが見える」って出ました。神のいたずらか)これはまずい、体直撃する。思わず腕を交差させて十字ブロック。体真正面から杭に突撃(今回の時間停止はこの程度でした。体ねじれなかった)ブロックした右腕の内側かすってわき腹に杭が食い込む。
激痛が走り、ごろっと地面へ。しばらく息が出来なかったが、荷物は片づけなければいけない。痛みこらえて残った荷物降ろすように指示し、自分は公園のベンチに倒れこんだ。荷下ろしが終わるの待つつもりだったが呼吸が困難になる。・・・・・・こういう時の携帯電話。しかし電話がつながらない。上には高圧電線それが原因か。
設備業者が配管作業をしていたので救急車を頼む。一人公園の向こうへ駈けて行った。でも戻ってこない、救急車案内するためだろうか。・・・・・しびれを切らしてもう一人が様子を見に行く。これも帰ってこない。俺は息も絶え絶え、とにかくあばら骨が痛くて大きく息が出来ない。酸素不足の金魚状態。・・・・・これはやばそうだな。このまま死ぬのかな。もう一人の自分が上の方から見下ろして冷静に言う。
ついに残っていた一人、様子を見に行くって言ってしまった。・・・・・・・・自分が死にそうになっていると思い、気持ち悪くなったのでは。・・・・・・だれもいなくなった。静かな公園の中自分一人。物音一つしない。遠くで車の音。もう一度携帯をかけるがやはりつながらない。
それからややしばらくして救急車がやって来た。すぐ近くと言っても1Km位離れた所にある。確か「伊川谷病院」と言ったっけ。病院に担ぎ込まれる。・・・・・とにかく息が苦しい。わずかしか息を吸わないので酸欠状態。ダイビングやっている人なら常識だが、わずかしか息を吸わないとほとんど気管の中までしか入らず吐き出されちまう。吸った空気ほとんど役立たない。・・・・・「酸素吸入してくれ」・・・・「意味ないと思いますが」。心の中で「ふざけるな、俺が一番わかっているんだ」
救急隊員、役目だろうが、呼吸困難の俺から氏名・住所・年齢聞き出す。苦しい息の中からようやく伝える。・・・・・・引き継いだ看護婦さんも同じ事聞く、なかなか言えない。だんだん腹が立って来た。少しづつ息を貯めついに叫んだ「ふざけるな」。
いろんな診察している間に少しは痛み和らいだ。診断は右わき腹の背中側角部分のあばら骨3本骨折。そのため背中に血が溜まっている。手術は明日。個室頼んだので点滴打ちながら病室へ。
義兄に連絡とったので、心配してすぐ飛んで来た。虫の息の俺を見てビックリ。(帰ってから妻には死にそうだって伝えたらしい)
一応夕飯は食べた。夜になったら小便したくなった。だが尿瓶使うって言われ、これはまずい。掴まれたらどうしょう。絶対生き恥は晒したくない。ほとんど体は曲がらなかったが看護婦さんに手を引っ張ってもらって起きた。これはやばい看護婦さん手を放すかも、と思われるくらい引っ張ってもらった。すごく痛かったが、とにかくメンツの為に我慢。
個室だったのでその点は良かった。
次の日、「手術しなくてもよさそうだ。背中に溜まった血が自然に抜けるのを待つ」本当にホッとした。なんせ私は注射が大嫌い。小学生の時医者と看護婦蹴っ飛ばして逃走したんだから。切られるのは割と平気だが、突き刺すって残虐行為が我慢ならない。
妻が来る
翌日の夕方妻が来た。義兄から「死にそうだ」って言われ来たそうである。あまりに早い到着でビックリしたが当然か。
妻は、千歳空港から神戸空港へ着く。ところが神戸空港からの交通手段がない。空港内は大騒ぎ。妻がウロウロしていると(相当目立つほどウロウロしていたんだろうな)取材の為着いたTVの人声かけてくれた。事情を話すと船をチャーターしたんで載せて行ってあげるから待っていて。妻無事に神戸へ着く。神戸の事は良く知っているので(大昔神戸で働いていた)無事病院へ到着。元気そうな俺を見て一安心。連絡を受けた時は相当うろたえたらしい。其の後数週間、病院の個室で一緒に生活。
退 院
まだ少し退院には早いがそろそろ退屈。後1週間ほど入院していた方がいいと言われたが、もうすぐ新幹線が開通する(災害復旧が完成し)というニュースを聞き、現場も完成が見えたので(引継ぎもあるので、時々義兄につれられ現場を見にいっていた)新幹線が開通する日退院を決める。
リハビリ
退院してそのまま札幌の自宅へは帰らず、リハビリを兼ねて妻と二人、四国の四万十川へアユ釣りに。其の後球磨川、長良川などと竿を片手に渡り歩き、北海道へ帰って来たのは3週間後。1週間家で静養。会社へ復帰したのは退院から1か月後でした。(こう書くといかにもアユ釣りが上手なように聞こえますが下手の横好き、さっぱり上達しません。近年は全くやっていず、人生最後にもう一度楽しみたいと思っていますが実現するか?)
怪我の具合は、3本もあばら骨折れたので、太くなった部分がごろごろと擦れる。今は自然に変形したのだろう、エビ反らない限り感触はなく、手で触ると分かる程度になった。普段は全く気にならない。
仮設住宅
この仮設は、解体しやすいようにネジ止めになっている。その後役目を終え、たしかトルコ地震の復興住宅として送られたって話が伝わって来た。・・・・世界を旅してるんだ・・・・・・。
ザキヨット裁判」も読んで下さい。 俺は5年間頑張りました。
裁判所の判決がいかにひどいものか皆様に考えて欲しいと思います。手抜きに関し「未工事で有るとすれば、これは瑕疵ではない」との理由で却下された。工事代金は返してもらえなかった。このとんでも判決。偽証だと明らかなのに、それを注意しない裁判官。民事では偽証罪が成立したことがないでたらめさ。オカザキヨットは分っているから、偽証を繰り返し尋問時間を浪費させる作戦。・・・・・・だから悪徳業者は減らないんだ。
「オカザキヨット」「オカザキヨット裁判」「オカザキヨット評判」で検索