長くて短い人生「JINNSEIーOKINA」があっちこっちへぶっ飛ぶよもやま話、

阪神淡路大震災から26年/
神戸救援編

私が阪神淡路大震災にどういう風にかかわっていたか、一度書いて見たかったんですがそのままになっていました。ブログなんて簡単な広報手段が出来たので一筆書いてみようかな。

私の奥さん、元美容室やっていました。震災の前日は成人式、その日は東京から札幌に帰って奥さんの手伝いをしていました。ちなみに写真も趣味なので、奇麗なお嬢さん方の撮影していました。成人式も終わったのでニセコへ水くみに行こうという事になり、ニセコの別荘に
出かけました。(今は売り飛ばして、現在のヨットに変身しています)
当然ニセコは冬です。風呂洗うのも面倒なので、温泉へ入ろうといつものホテルへ・・・・しかし関西からの修学旅行で貸し切りになっているからと断られました。・・・・・スキー目当ての修学旅行多いですからね。生徒も冬山では脱走もできず、スキーの指導は指導員任せ。先生にとっては楽な修学旅行です。
翌日は、目的の水を汲むために帰路にある「京極町のふきだし公園」へ。この公園はエゾ富士と呼ばれる羊蹄山の湧き水で有名。昼時だったので公園の食堂へ。食堂の名前は「ふきだし荘」これ電話で聞いたら「吹き出しそう」。
食事をしていると、TVから地震の情報流れている。飯食いながら、これは地震対応の注意を喚起するための製作番組だと思って眺めていました。「それにしてもリアルに作った番組だなー」そう思って眺めていたが、あまりにもリアルすぎる。・・・・・・「エ、これ本物だ」びっくりしました。神戸には妻のすぐ上の兄貴が住んでいる。しかし今と違って携帯なんて物はなく連絡が取れません。
すぐポリタンクに水を汲んで札幌へ。家から電話を掛けると親子4人無事だという事でほっとしました。現在は車の中で過ごして様子を見ているとの事でした。余震有りますからね。
物凄い揺れで、娘などはベッドが跳ね上がり5階の窓から放り出されそうになったそうです。すぐに脱出。しかし義兄の家族だけで誰も出てきません。・・・・・・不思議に思っていましたが、しばらくするとぞろぞろ出てきましたそうです。何とその原因は家具が倒れドアが開かず避難できなかったそうです。家族見捨てて避難できませんからね。義兄はこのマンションを買った時に、家具は作り付けにしていたのですぐ脱出できました。・・・・・良かったー。

私は個人住宅を専門にやって来ましたが、ビルを作る建築士がマンションを設計した場合、廊下側に開くと歩いている人にぶつかり危険だという観念があり、住宅の部屋のドアまで部屋側に開くように設計してしまうんです。私はそんな設計をしませんが・・・・・この地震以降かなり変わったとおもいますが。・・・・皆さん家を建てる時は注意して下さいね。
ちなみに、その時ニセコのホテルに泊まっていた生徒。皆に水を持たせて帰したそうです。

神戸へ行く
私は東京に戻りましたが義兄家族が心配。妻も心配するので、神戸へ行く事にしました。しかし私は神戸の街良く知りません。そのため札幌に置いてある車に、当時珍しかったGPSを取付させ、妻と事務員さん二人で回送してもらい、関東の近くの温泉地迄受け取りに行きました。
予め有給休暇をとり、震災10日目ごろ神戸へ向かいました。ガスに困っていると言うので途中で何度も高速を降り、小型ガスボンベを手に入れようとしますがどこも売ってくれません。それでもカセットボンベ、水と食料をたっぷりと積、神戸へ向かいました。
神戸の山の上の高速SAでうどんを食べ(SAでもうどんが美味しく、その後うどんが好きになりました)しっかりと小便をして神戸の街へ向かいました。当時水が出ずトイレが使えなかったからです。(家族は、大の時だけペットボトルの水を使っていました)
GPSを頼りに、垂水の兄の家へ向かいましたが、当時のGPSの頼りにならない事。しかし奥さんが昔神戸で勤めていたので、どうにか住まいにたどり着きました。
義兄のマンションは無事でした。しかし、向きによって被災したり無事だったりの差が出たようです。義兄の被害は、壁の中のモルタルがはがれたらしくガサゴソする事(建築って、見えない所はいい加減ですからね。強度がないんです)それと戸棚の瀬戸物が飛び出して壊れた事です。義嫁は、高い物を戸棚の上に入れていたので、高い物ばかり壊れたとこぼしていました。しかし、周りのマンションは傾いだり、1階が潰れたりと悲惨な状態で本当に運が良かったです。・・・・但し避難施設には入れないので、食料の入手が困難でそれはそれで苦労していました。
しかしいつまでも居れません。生活状況を考えると泊まるなどもってのほか。1時間ばかりいて水と食料を降ろして帰路につきました。町の中は雑極まりなく、いたるところ交通止め。それでもGPSを使って細い道をあっちへこっちへ。ようやく高速道路へたどり着き、脱出に成功。東京へ帰りました。・・・・・車はそのまま東京で駐車場を借りました。

次回は、神戸復興編


ザキヨット裁判」も読んで下さい。     俺は5年間頑張りました。
裁判所の判決がいかにひどいものか皆様に考えて欲しいと思います。手抜きに関し「未工事で有るとすれば、これは瑕疵ではない」との理由で却下された。工事代金は返してもらえなかった。このとんでも判決。偽証だと明らかなのに、それを注意しない裁判官。民事では偽証罪が成立したことがないでたらめさ。オカザキヨットは分っているから、偽証を繰り返し尋問時間を浪費させる作戦。・・・・・・だから悪徳業者は減らないんだ。
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